2008年12月08日

12月といえば… その1忠臣蔵

今年も、師走 忠臣蔵の季節になりました。

どういう訳か、年の瀬が迫ってくると忠臣蔵を考えてしまいます。

というのも、昔福岡に四十七士を祭ったお寺さんがあると聞き、

参拝した事があったのです。
12月といえば… その1忠臣蔵


実際は、本物のお墓にそっくりに祭ったものだそうですが、それを知って家からも近いという事も手伝って毎年参拝するようになったからです。

義士祭が行われる赤穂市では赤穂義士(あこうぎし)と呼ばれ、忠孝の教えの観点から戦前は全国的にも赤穂義士の名称が一般的だったが、戦後、大佛次郎の小説がテレビドラマ化されてからは、赤穂浪士の方が周知されている。四十七士(しじゅうしちし)ともいう。(事件自体の経緯は元禄赤穂事件を参照)

四十七士ではなく、四十六士であるという説もある。この問題はすなわち討ち入り後、泉岳寺にある長矩の墓に行くまでに突然姿を消した足軽寺坂吉右衛門が、逃亡者であるのか、それとも何らかの理由で同志達の許可を得たうえで離れた者であるのかの問題である。逃亡者とみなす立場からは四十六士となり、大石内蔵助から何か密命を受けて離れたとする立場からは四十七士と呼ぶ。

なお、浪士は全員播磨国赤穂郡出身のように思われがちだが、赤穂出身者は大石内蔵助を含めて半数程度である。次いで多いのが真壁や笠間の出身者である。浅野氏の家臣団の中心は赤穂に転封される前の大名として初立藩した常陸国真壁藩(茨城県真壁郡・筑波郡・新治郡一帯を所領とする)と加増移封後の笠間藩(茨城県笠間市と旧真壁藩領を所領とする)時代に形成されているためである。吉田忠左衛門・小野寺十内・堀部弥兵衛など高齢者の浪士はここの生まれが多い。そのため同地には現在も浪士の出身家系の旧家が残り、浪士の遺品も多く伝わっている。

赤穂浪士が葬られた泉岳寺では現在も毎年討ち入りの日に義士祭を催している(討ち入りの日は旧暦12月14日深夜[1]であるが、義士祭は新暦12月14日に行われる)。
Wikipedia引用

高校になって、赤穂の塩の利権での争いという、歴史の先生独自論理を展開されていたりで子供の頃の勧善懲悪の物語から、史実として面白みが加わりさらに好きになりました。

皆さんはどうですか?爺くさいでしょうか?

ちなみに、この義士祭をしている福岡のお寺さんは、除夜の鐘も打たせてくれました昔は、今はどうなんでしょうかね?



タグ :赤穂浪士

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