2009年01月11日

星野真理主演 博多はたおとが全国放送に!

反響がよかったのでしょう。九州・沖縄ブロック向けということで、平成12月12日(金)PM7:30~PM8:43で、星野真理さん主演で放送された。博多はたおとが全国放送になるそうですよ。
博多織の事を全国に発信できてうれしいですね。

星野真里さん扮する女性主人公が博多織の職人を目指す、福岡発の地域ドラマ「博多はたおと」が、2月に全国放送される。主人公・柴田春子は、アルバイトや派遣社員としてさまざまな職業を経験したのち、博多織職人を育てる「博多織キャリアカレッジ」に入学。博多織へのひたむきな情熱と人間模様からストーリーが展開する。春子が学ぶ「博多織キャリアカレッジ」は実在の学校で、春子の師匠・岩井仙助(竜雷太)も実在の職人がモデルとなるなど、地域に根ざした内容となっている。また、福岡商工会議所が取り組む「21世紀博多織JAPANブランド事業」で開発されたブライダルドレスが多数紹介され、博多織製品のPRにも一役買っている。放送時間は、NHK総合で、2月11日朝8:35~9:48。
日本商工会議所HP引用

博多織の歴史
鎌倉時代、嘉禎元年(1235年)33歳の満田弥三右衛門が、圓爾弁圓(聖一国師)と共に謝国明の船で南宋(中国)へ向け博多の津を出港します。6年後、弥三右衛門は織物、朱、箔、素麺,麝香丸の五つの製法を修得して仁治2年(1241年)博多の津に帰ります。博多に戻った弥三右衛門は、これらの製法を博多の人々に伝えます。ただ織物技法だけは家伝とし、独特の技術を加えながら広東織り、緞子織り、呉織りなどと称して大変好評を博しました。当時は、主として反物、着尺だったようです。

献上博多織
江戸時代、慶長5年(1600年)黒田長政が筑前国を領有するようになります。

長政は、領内の各種産業を調べあげてその育成に力を注ぎますが、たまたま竹若伊右衛門が長政の入国に慶意をあらわすために献上した唐織に目をとめて、これを幕府への献上品に指定し、特に育成することになります。黒田藩では毎年3月、博多帯十筋と生絹三疋を幕府に献上しています。これにより博多織が「献上博多」と呼ばれることになりました。献上博多は、青・赤・紺・黄・紫の5色を揃え、五色献上(ごしきけんじょう)と呼ばれました。五色献上の元々の由来は、古代中国(随)の思想で森羅万象、宇宙のあらゆる現象の元となるものを「木・火・土・金・水」の五つとする陰陽五行説と色とを結びつけたもので、これを五色(ごしき)といいます。五色は、儒教の五常に対応され、「仁は青」「義は紫」「礼は赤」「智は紺」「信は黄」を象徴しています。ただ博多織では、紫「義」を「徳」として現在まで伝えられています。

献上柄の紋様は、満田弥三右衛門が苦心して織出した真言宗の法器、独鈷と華皿を図案化したもので博多織の原点となった模様です。以前は、単に独鈷、華皿受け柄といわれていたものが献上行為が始まって「献上」と呼称されるようになりました。
「独鈷」は、煩悩を破砕し菩薩心を表すための法器です。「華皿」は、仏の供養をする時、花を散布するために花をもる器のことです。その中間に縞を配し、子持縞(両子持・中子持)として親子の情愛を表現しています。

数百年の伝統と年月を経て、現在もなお生き続ける献上紋様は古典的であると同時に近代性をマッチさせているデザインとして他に類を見ない美的構成を持つのが特長といえます。
しかし、これらの織物における紋様は全く宋の模倣にすぎませんでした。改めて聖一国師に教えを乞うたところ、国師は仏具の独鈷と華皿を指し示し、これを織出すことを進めました。弥三右衛門はその図柄を図案化し、苦心の末に「独鈷うけ織り」「華うけ織り」を創出しました。これが今日伝えられる博多帯のいわゆる献上柄の元になったと言われています。
満田弥三右衛門没後約250年、弥三右衛門の子孫、満田彦三郎が揚州広東(中国)に渡って織物の技法を研究して帰り、博多の竹若伊右衛門(籐兵衛)と共に新作品の組織に苦心して改良工夫し、琥珀織のように地質が厚く模様に浮線や柳条の浮き出たすぐれた厚地の織物を織ることに成功したと言われています。広東織りからヒントを得たもので地質が非常に堅く反物としてよりも裁って帯に用いられる傾向が多かったようです。伊右衛門は更に工夫改良を加えて、帯地専用の地質と寸法を創製します。これを博多の地名をとって、「覇家台織」すなわち博多織と称したと伝えられています。覇家台とは、中国における博多の呼称の1つといわれています。

博多織の特徴
細い経糸(たていと)を多く用い、太い緯糸(よこいと)を筬で強く打ち込み、おもに経糸を浮かせて柄を出すのが博多織の特徴です。材料は絹糸、先染めまたは先練りです。強い打ち込みのため生地に厚みや張りがあって、帯としての用途に適しています。締めたら緩まないということで、古くは重い刀を腰に差す武士の帯として重用されました。今では、女帯が主流ですが、やはり締めやすく緩まないという特性が喜ばれています。

博多帯の締め心地には定評があり、締めるときに「キュッ、キュッ」と絹鳴りがします。
キュッ、キュッという絹鳴り。しゃきっとした締め心地。どちらも博多織ならではの魅力です。

博多織は古来より芸能界との縁(つながり)が特に深く、昔より歌舞伎俳優の各名優、舞踊界の家元、花柳流ほか踊りの各流派、能楽界の宗家、音曲界の巨匠、さらに映画界のスター、花柳界の名妓等の愛好家が多かったようです。従って博多織の献上、縞、格子など総体的に小意気な感じのものが多く、一種独特の性格を持っています。

献上博多に代表される平織(ひらおり)は優美な艶やかさを、紋織(もんおり)は繊細緻密な織柄と見事な色合いを見せています。


あらすじ
アルバイトや派遣で様々な職を転々としてきた柴田春子(27)。やりがいのある職を求め、博多織の職人養成学校「博多織キャリアカレッジ」へ入学、就職準備用の帯の図案を書きながら、機を織る毎日を過ごしていた。

カレッジは手織り職人を育成し、博多織の未来を託そうと作られた。講師は博多でも指折りの職人・岩井仙助(73)。しかし当の仙助は、今時の若者が根気よく技術を習得できるのかどうか、半信半疑である。

ある日、春子は普段から慕っている祖母・紀和(75)から、若い頃の浴衣姿の写真を見せられる。見たこともない素晴らしい絵柄の帯。今は失ってしまったが、夫に買ってもらった思い出のものだという。実はその帯は、若き日の仙助が情熱を込めて織り上げたものだった。

NHK福岡放送局 HP引用


タグ :星野真理

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Posted by やかん at 14:49│Comments(0)テレビ番組
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